「始まり」の始まり
私が初めて英会話講師として働きだしたのは24歳の時でした。
大手の英会話スクールで大人に英会話を教えるというのが始まりで、その頃の私は、自分の持っている英語の知識をただひたすらに教えていくのが英会話講師だと考えていました。
英語を教えるうえで英会話講師が出来る可能性や自分のポリシーなど考える間もないくらい毎日忙しくレッスンをこなしていました。
英会話スクールの隣に子供対象のスクールも併設されていて、そのこども英会話教室の先生と話す機会があったのですが、そこでよく耳にしたのが「子供が好きで英会話講師になったのに子供が嫌いになりそう。」だと言うことでした。
私自身は大人の方々を教えているし、そのことを何度耳にしても子供を教える事はないだろうなと思っていたのですが、考えてみると、アメリカ留学時代は、幼児教育を専攻していたのにも関わらず、英語教育と幼児教育を切り離していた自分がいました。
そして月日が流れ、結婚し私にも子供ができ、そんな中、知り合いのお母さんから子供に英語を教えてほしいと言われたのです!
「この私が!?」
ついにこの日が来たかと笑顔の裏で不安いっぱいになったのを覚えています。
いざ、子供たちに教える事を始めてみると思っていたよりもずっと楽しいもので、子供たちに英語を教えて、使えるようになった時や、理解できた時、学校のテストの点が良かった時など、やりがいを感じる事がありました。
「英語を教えて、英語検定に合格させて、学校のテストの点を取れるように指導する!」
…これが先生の役目でこの方法が正解だと思っていたのですが、一方でこの未来ある子供たちの英語教育の在り方について深く考えるようになりました。
生徒の中には、中学生の英語の授業が始まると点数が取れない自分を悲観して英語が嫌いになっていく…そんな生徒もいました。
「このやり方では、私が受けてきた英語教育と一緒ではないだろうか‥」
そんな生徒を見ていると、私は何のために英語を教えているのかと、疑問を持たざるを得ませんでした。
壁だと思っていたら扉だった!?
モヤモヤしながらも、いろいろな講座を受けてHow toを学び、自分なりに実践してみる。
最初は上手くいったとそのHow toに感心するのですが、成果が出ているのかわからないまま時が過ぎて、その活動を止めてしまう…
上手くいったのか?いかなかったのか?わからないが受けないよりマシと、自分を納得させながら、何のためにこの活動をしているのかを考える事もなく、ただ真似する日々が続きました。 どうすればいいのか、答えが見えず、モヤモヤした大きな壁が立ちはだかります。
それはすべて小手先のテクニックだけで、先生のWhat for?が抜け落ちていた事に気も付きませんでした。
開かれた扉と、踏み出した一歩
以前から出版社主催の講座でお世話になっていた、ひろみ先生とMatthew先生が児童英語養成講座を2人で始めるという、驚きの知らせを知り合いの先生からいただき、受けるならあの2人からとは決めていたので、胸が高鳴ったのを今でも覚えています。
『変わりたい!もっと成長したい!』と思っていた所に、 ひろみ先生からの熱い言葉をいただきました。
「この講座は先生のための講座です。私は先生たちに変わってほしいのです!」
その瞬間、私の中で何かが目覚めました。
「…変わりたい!」 「生徒たちのためにも私が変わりたい!」
緊張と期待を胸に、私はついに養成講座を受講することになりました。
いざ養成講座を受講してみると、いつも考えなければいけないのは、What for?でした。
「この活動は何のため?」
「この順番にしたのは何のため?」
「何のためのリスニング?」
何のためと、とことん向き合い、つきつめていくと、私自身の考えがどんどんと変わっていくのを感じました。
『…なぜなんだろう?これは生徒の為に受けた講座なのに、私が変わっていく。』
それは、私の人生観までが変わっていくのを感じる事ができました。
What for?と向き合い続けると、この講座を受ける前の知識のみを教えていた時と違って、生徒一人一人の個性が輝きだし、色々な答えが飛び出してくるようになりました。 何のためにこの活動をしているのかが明確になると、この活動をする意味がわかり、生徒の成長を感じる事ができるようにもなり、どんどんアクティビティのアイデアが浮かんでくるようにもなりました。
なぜならぶれる事のない先生としてのWhat for?
そして私のWhat for?が見つかったからです。
「教える」からの脱却
私は、知識のみを教えるのが教育であり、教える事が正義だと思っていたため自分自身のポリシーがありませんでした。 しかしこの講座を受講して、自分の求めていた教育は生徒に考えさせる訓練をすることだ、という答えが朧気ながらも見つかったのでした。
私が、子供たちに知識のみを教えようとすればするほど、子供たちの心が無くなっていくのを感じました。
反対に、答えが一つでない質問を考えている時の生徒の顔は、正解が一つの質問を解いている生徒の顔とは全く違う、楽しそうな顔をします。
小さいながら、自分のもっている知識を使って考え、発せられた生徒の個性が詰まった答えには、思いが込められています。 その答えには価値があります。
その他の人の答えを聞いて、共感したり、驚いたり、違いを認めたり、生徒に考えさせる事がこんなに生徒の可能性を広げる事ができるのかと気づかされました。
この講座を受講して、私は、この英会話講師という素晴らしい仕事に無限の可能性と私のポリシーを持つこともできました。
改めて、この講座を始めてくれました、ひろみ先生とMatthew先生に感謝の気持ちでいっぱいです。
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